何とかして自分の部屋に辿り着いた頃には、だいぶ息が上がっていた。

なんせ、ここは自分のような神に仕える者の居住塔の中でも最上階に位置している。

物心も付かぬ頃から昇っている階段を鬱陶しく思っていたのは、もう何年も前の話だ。

しかし、それは自分一人が昇る時の話であって、少なくとも人間(と、言えるかどうか別にして)一人を

抱えて昇るなんて事を想定していないからの感想だ。

 

やっとの思いで運び上げて、自分のベットに寝かせる。

呼吸自体は安定しているように思うが、何せ見た目が酷かった。

血が止まっているのが幸いと言えば幸いなのかもしれなかった。

こびりつく血を濡れたタオルで丁寧に、優しく拭いながら傷口を消毒していく。

時々、痛そうに呻き声を上げる度にドキリとしながら、けれど目を覚ます事はなかった。

そうして、なんとか傷の手当てが終わる頃には夜もあと僅かだった。

さすがに、一睡もせずに日々の勤めに行くのは辛いと思い、

ベッドの近くに椅子を持ってきて毛布に包まって眠った。

この少年が苦しんだりした時に、すぐに気が付くように。

 

 

 

 

目を覚ますと、見慣れない天井。
目線だけで辺りを見渡してみるが、特に危険はないらしい。
体を起こそうとして、腕に力を入れると、鈍い痛みが体に走る。


「…っ…う」


痛みを堪えて体を起こして、若干荒くなってしまった息を落ち着かせるように目を閉じ、小さく呼吸を繰り返す。
次いで腕に巻かれている包帯が目に入って、他の怪我も丁寧に手当てされているらしい事に気付く。
してくれたのは、ほぼ間違いなく、椅子に腰掛けたまま眠っている青い髪の少女だろう。

本来なら彼女が眠りについている場所を自分に貸し与えてくれたらしい。
申し訳ない気持ちと、感謝のそれとを感じながら、はて?自分は何故彼女の世話になっているのだろう思う。

確か、昨夜は久しぶりに起きだして、夜の空を翔んでいたのだ。
その時に…


「ん……」


そこまで考えた所で、少女が目を覚ましたらしい。
ゆっくりと瞼が持ち上げられていくのを、自分はまるで息を止めるかのように見ていた。
いや、実際に呼吸をするなんて事は忘れていた。
少女が持つ雰囲気は、どうしてか、とてもなつかしくて、胸が苦しくなった。
理由は少女と目があった瞬間理解する。
彼女の持つ色彩は、遠い昔に自分が失った空の色。
血に目覚めた時に、永遠に見る事が叶わなくなったものだったから。
青い瞳が自分を捕えて、一瞬だけ驚いたような顔をしてから、ゆっくりと微笑みを浮かべた。
体の中を巡る血が沸騰しているかのような錯覚。
ドクドクと脈打つ。まるで全身が心臓になったかのようで、先程とは違う感じで胸が苦しくなる。


「良かったぁ、気がつい…」
「………名前…」
「は?」
「名前、何ていうんだ?」
「…………はぁ!?第一声目がそれ!?とゆーか…あ、あんたこそ誰よ!?」
「俺は、植木耕助だ」
「な……え、ウェ…コー?」
「うえき こうすけ、だ」


ゆっくりと一音ずつ区切って発音する。
自分の国の言葉や発音は、この国のものとはだいぶ違うのだ、と昔一緒に大陸へ渡った仲間が教えてくれた。
まぁ、その仲間の言葉も、元いた国では地域による独特の言葉だったけれど。


「う、えき?」
「うん」
「……あんた…頭も打ってたもんね……」
「あ、怪我の手当て。ありがとな」
「イヤミもスルー……まぁ、どういたしまして……」
「で」
「は?」
「名前は?」






自分にしてみれば、随分と積極的な行動だった。
目覚めた相手に何よりも先に名前を聞いたりなんか、普段ならしないだろう。(あまり自信のない根拠だけど)
けれど、自分でも制御しきれない感情でもっての行動だったので、理由を聞かれたりしたら困るのだけれど。
胸の苦しいさを隠しながら、今だ夜の闇が支配する空間であってなお、透明さを失なわない小さな空を見つめる。

かくして数十秒後、溜め息と共に吐かれた文句の呟きの後で小さく、しかししっかりと耳に届いた言葉。


「『セレスティア』よ……」


その声は、確かに自分の胸に響いたのだった。