始まりは満月の夜。

私は自分の身に何が起こっていたのかを考えるより、
ただ呆然と、逆光でなお輝く、深く優しい金緑の光に魅入っていた――――――

 

 

 




教会に差しこむ月の光は、通り抜けたステンドグラスの色によって様々な色に変化して床に広がっていた。
その中心、蒼い光を一身に浴びながら祈りを捧げる少女が一人。
真っ白な法衣に身を包み、肩口に届くかどうかという髪は、蒼い光の中でも澄んだ光を放っていた。
少女の名前を知り、名を呼ぶ者は、この世にたったの2人だけ。法皇と、それを支える大聖女だけだ。


名前にはその者を縛る呪がある。
『神に愛されし娘』とまで言わしめた力を持って生まれた彼女は、だから悪意ある者から名を呼ばれて

堕ちてしまわぬように、聖域たる場所に名前を納められていた。


(クローズ)()箱庭(ガーデン)

 

――――そこに納められているモノは、全て神に捧げられているモノ。少女の名は聖域(クローズド)言語(コード)の指定を受け、その場所に封印されている。
生まれてから数度しか呼ばれていない名を心の中で思い浮かべながら、少女は祈る。
自らが信じる神を愛して、ただ祈り続けた。


 

 

 


暫くして、ゆっくりと瞼を上げた少女の瞳は晴れわたる空の色。
いくら名前が封印指定を受けているからと言っても、多くの人間がいる教会では、名前がないのは不便極まりない。

名前を呼べない少女の為の呼び名が必要だった。
少女は天性の明るさと誰よりも人を思いやる心の暖かさを持っていた。
少女の持つ澄みきった『青』の色彩と、その心の美しさから少女は『(セスティア)』と呼ばれていた。
親しみを込めて。
憧れを込めて。
どんなに求めても届かない、狂いそうな程の愛を込めて――――



 

 


ステンドグラス越しに、月が見える。
大聖堂に来た時から大分と天に近い場所まで昇っている。
自分がこの場所に居た長さを知って、慌てて立ち上がり扉に向かって心持ち早足になる。

十字架に背を向けた少女は、しかし最後にくるりと裾を翻して回り、長い事

自分のような迷える子羊を見守ってきただろう聖母マリアに恭しく礼儀をした。


「それでは、また明日……父と子と精霊の御名において、健やかな眠りを与えて下さいますよう……」


そう告げて、外へと続く扉をゆっくりと開けた―――――

 

 

 



一歩踏み出した瞬間。ソレは、降ってきた。
物凄い音をたてて、地面にぶつかるソレ。
その衝撃で起こる風と、飛んでくるであろう石から身を守る為に、とっさに体を捻って、それらをやり過ごす。
防衛本能からか、扉に背中を預けて、ずるずると座り込む。
バラバラと言う音が消えて、辺りは巻き上げられた土煙に覆われていた。
袖を口許に当てて、吸い込まないように注意してが、完璧には遮断しきれずにケホケホっ、と咳き込んでしまった。

一体何なのだろう?
自分は何時ものように日々の勤めを終えて、寝静まった居住塔から脱け出して祈りを捧げていただけなのに。


「え、ちょ…何、ケホッ!…ぉれ!っ!ゲホっケホ!前見えな……なんなのよー!!」


見えない何かに向かって叫ぶ。しかし、今が真夜中だという事を思いだし口を噤む。

 


『……ってこれだけ大きな音なら意味ないじゃない!』


心の中で結局は自分のとった行動に意味が無い事を悟り、次いで腹が立つ。
この、いつも通りの筈だった静かな夜を壊した何かに対しての怒りを、だから少女は行動のままに移すべく、見えない相手を睨みつける。

土煙が、ゆっくりと、いつもの夜の風景に消えていく。

その向こう、揺らいで見えた影を見つけて、少女は良く通る声で文句を言うべく口を開いた。


「ちょっと!何だかわかんないけど、この騒ぎの元凶ね!?一体何が目的で……」


他でもない、何故この場所に落ちてきたのか、を聞こうとしたのだ。自分は。
しかし、その詰問は強制的に停止させられた。

けぶる空気の中、徐々にはっきりとしてくる輪郭。
それは、信じられない事に自分と同じ種族の外見をしていた。
しかし、その前に起きていた現象が、今手を伸ばせば届く距離にいる生物が、自分とは違う生き物など告げる。

 

 

でも、そんな事は、ふっとんでいた。

 

満月を背に立ち上がった、その見た目は自分と同じくらいの年齢の少年(・・)の姿を見つめる。

囚われたのは、その瞳。

私は自分の身に何が起こっていたのかを考えるより、
ただ呆然と、逆光でなお輝く、深く優しい金緑の光に魅入っていた。

 

 

 

二人の間を、夜風が吹きぬける。

お互いを隔てるものは、全て消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

07/11/14

まだ、お互いの名前も何も知らない二人の出会いです。

 

 

思い返すまでもない。あれが、運命の変わった日だと確信を持って言える。